四代目 鳥居清忠(よだいめ とりい きよただ、明治8年〈1875年〉3月28日 - 昭和16年〈1941年〉8月3日)は、明治時代から昭和時代初期にかけての浮世絵師。鳥居派七代目当主。
来歴
鳥居清貞の門人でその長男。本姓は斎藤、俗称長吉。字は惟蕙。南陵、蕙斎、蝶蛸蜘之舎、劇雅堂と号す。東京出身。明治25年(1892年)に18歳で土佐派の川辺御楯に絵を学び、その傍ら父の清貞にも付いて鳥居派の画風を学んだ。鳥居派六代目の三代目鳥居清満に後継者が無かったので四代目清忠を継ぎ、鳥居派宗家七代目となる。歌舞伎座、新富座の看板絵、番付などを描いた。明治末期には木版口絵も手がける。享年67。門人に息子の鳥居言人の他、鳥居忠雅、清宗、清晴、忠章、忠宗、忠邦、忠峰、忠邨、忠長、忠美、忠梅、忠賢、忠正がいる。演劇画に多大な貢献をした家系であった。
作品
木版画
- 「芝居双六」 印刷物 ※右田年英との合作。描かれている演目の内容から、帝国劇場が明治44年(1911年)に開場した折、製作されたものと見られる[1]。左下隅に「非売品」、「日本ばし滑稽堂製」の文字あり
- 『心中おさよ新七』 ※口絵。平木白星作、如山堂版。明治37年
- 「五月雨」 ※口絵。『演芸倶楽部』第1巻第2号、博文館版。明治45年
肉筆画
脚注
参考文献
- 吉田暎二 『浮世絵事典(定本)』(上巻) 画文堂、1974年
- 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年
- 熊本県立美術館編 『今西コレクション名品展Ⅲ』 熊本県立美術館、1991年
- 山田奈々子 『木版口絵総覧』 文生書院、2005年
関連項目




