畢 桂芳(ひつ けいほう、1865年〈同治4年〉 - 没年不詳)は、清末民初の政治家・外交官。旗人。清朝、北京政府の政治家で、北方外交を専門としたほか、黒竜江省で都督・督軍などをつとめた。字は植忱植承

事跡

北京同文館を卒業後にロシアに留学した。帰国後は、駐ロシア公使館随員、直隷知州、北洋洋務局随弁、東三省議約随員、駐ウラジオストク(浦塩)弁理交渉商務員、ホブド(科布多)弁事大臣を歴任した。

1912年(民国元年)5月、駐タルバガタイ(塔爾巴哈台)参賛に任命された。1913年(民国2年)7月、護理黒竜江都督兼民政長に任命されている。同年10月、総統府高等外交顧問として召還された。1915年(民国4年)9月、正藍旗蒙古都統。

1916年(民国5年)5月、署鎮安右将軍となる。翌月、黒竜江将軍兼巡按使(翌月に将軍は督軍と改称)に任命された。しかし1917年(民国6年)7月、奉天派軍人の許蘭洲から軍事的圧力を受けて下野に追い込まれた。

1918年(民国7年)9月、安福国会で参議院議員に任じられる。後に、大総統府高等軍事顧問に任命された。1927年(民国16年)、顧維鈞、潘復の両内閣で賑務督弁を務めた。

以後、畢桂芳の行方は不詳である。

参考文献

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。 

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