洞院 公宗(とういん きんむね)は、鎌倉時代前期から中期にかけての公卿。左大臣・洞院実雄の長男。官位は従二位・権中納言。
下焚きの情
『増鏡』によれば、公宗は同母妹の佶子に特別な思いを抱いていた——まるで燻ぶる暗火のように密やかに恋焦がれ、兄妹の恋は人倫に悖ると知りながらも慕情を断ち切れず、終日涙に暮れていた。佶子の入内(亀山天皇の后宮)の日が近づくにつれ、公宗は我を忘れたように放心状態で過ごし、その様子を見た父・実雄はどうしたものかと心を痛めていたという。
経歴
以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
- 正嘉2年(1258年)1月5日、従三位に叙せられる。同月7日、左中将は元の如し。同年8月7日、春宮権大夫を兼ねる。
- 正嘉3年(1259年)3月8日、正三位に昇叙。同年11月には春宮が践祚したため権大夫を止める。
- 正元2年(1260年)3月29日、駿河権守を兼ねる。
- 文応2年(1261年)2月8日、中宮権大夫を兼ねる。同年8月には皇后宮権大夫に遷る。
- 弘長2年(1262年)7月16日、参議を経ずに権中納言に任ぜられる。同年10月13日、皇后宮権大夫を止める。
- 弘長3年(1263年)2月19日、従二位に昇叙。同年3月21日、腫れ物の病により薨去。
系譜
- 父:洞院実雄(1219-1273)
- 母:栄子 - 公審の娘
- 妻:不詳
- 女子:洞院英子 - 伏見院妃、従三位、章義門院母
脚注
参考文献
- 井上宗雄『増鏡(中)』講談社(講談社学術文庫)、1983年
- 『公卿補任』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※ 正嘉2年(1258年)に公宗が非参議従三位となった時以降の記事。
- 『尊卑分脈』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※「洞院公宗」および「洞院実雄」の項。



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