柳津城(やないづじょう)は、岐阜県岐阜市柳津町本郷2丁目(旧羽島郡柳津町)にあった戦国時代の日本の城。

歴史

築城時期は文亀年間(1501年頃)といわれている。城主の竹腰摂津守は斎藤氏に仕えていたが、弘治2年(1556年)の長良川の戦いで戦死し、城主は叔父の成吉摂津守尚光にかわる。成吉摂津守尚光(のちに竹腰尚光に改名)も斉藤氏に仕える。

戦国時代、この地は尾張国であったが、斎藤氏の勢力下であり、斎藤氏と織田氏の戦いの最前線であった。

旧柳津村の地名には、一ヶ城、七ヶ城という地名が残っていたが、これは柳津城の出城や砦があった場所といわれている。

現代

城址は光沢寺の境内にあるが、石碑のみ残る。

関連項目

  • 日本の城一覧

柳州城景点信息排行榜123网

柳城县行政区划、交通地图、人口面积、地理位置、旅游景区景点等详细介绍

柳津城 岐阜市

岐阜の城 柳津城