朴 賢明(ぼく けんめい、パク ヒョンミョン、1911年 - 没年不明)は、朝鮮出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
平壌高等普通学校から全京城に進み、1938年に第12回都市対抗野球大会にも出場してチームの準優勝に貢献した。京城府(現ソウル特別市)の実業団で投手を務めていたと伝わる。朝鮮遠征中だった明治大学硬式野球部と対戦し、7回までノーヒットに抑えた事が大阪タイガース関係者の目に止まった。
1938年途中タイガースへ入団。しかし当時のチームの投手陣の層は厚く、1939年に2試合登板して1敗の成績を残したが、実際は打撃投手としての活動が主であり、1939年限りで退団。その後は北朝鮮に在住した。三美スーパースターズ(後の現代ユニコーンズ。2007年解散)の初代監督を務めた朴賢植は弟に当たる。
松木謙治郎は自著・『タイガースの生いたち』で、東映フライヤーズ監督時代の1969年、大韓民国遠征で弟の朴賢植と会ったが「兄は平壌にいる」と再会できなかった無念を書いている。
詳細情報
年度別投手成績
背番号
- 20 (1938年途中 - 1939年)
脚注
参考文献
- 日本野球機構 『日本プロ野球記録大百科 2004』 ベースボール・マガジン社、2004年、2010頁。
関連項目
- 阪神タイガースの選手一覧




